ink gallery

248-0031
鎌倉市鎌倉山1-19-12
→MAP
展示期間中だけオープンします。

駐車場がありませんのでお車でのご来場はご遠慮ください。

鎌倉駅から
鎌4 鎌倉山行
若松下車 徒歩5分

北鎌倉駅から
タクシーで約15分

Normal DANTSU Rugs. ふつうの、良いじゅうたん。

2026. 10 /10 sat. – 10 /18 sun.
11 a.m. – 6 p.m.

山形緞通は、「YAMAGATA DANTSU STANDARD」を立ち上げました。

今や紋切り型の表現になってしまった「普遍的で、上質なスタンダード」の本物を目指して、私たちが培ってきたあらゆる力を結集し、真正面から取り組むプロジェクトです。

振り返ると、念願だった本プロジェクトのスタートまでには、8年以上の歳月を要しました。「緞通」という特殊な敷物。技法・文様・色調の複雑性を追求し、その精緻な表現を大切な価値としてきた手工芸にとって、自信をもって「ふつう」を世に問うことは、これまでの価値観を一新していくプロセスでした。


本プロジェクトの立ち上げに際しては、アートディレクターに深澤直人さんをお迎えいたしました。そして、1st COLLECTION「STANDARD COLORS」において、新しい無地のじゅうたん『CRAFTON』の色調開発・監修を手掛けてくださったのは、YAECAの服部ご夫妻です。

きっかけは、深澤さんが工房をご視察くださった際のことです。2023年に私たちが服部夫妻と共同開発した無地のじゅうたん『NEW CRAFTON』に関心を寄せられ、後日、「次作の色調開発も、YAECAさんに依頼するのが良いのでは」とおっしゃいました。

それは、まさに我が意を得たりの出来事で、プロダクトデザインとファッション、現代の暮らしを舞台に、世代と領域を超えた「スーパーノーマル」のバトンが自然と繋がったことに、心が躍りました。

上質な無地のじゅうたんを安定して生み出すことは、作り手の技術と姿勢が露呈する、ごまかしがきかないものづくりです。原料、糸づくり、織り、仕上げ、あらゆる工程において、少しでも綻びや油断が生じれば、それはたちまち粗さとなって表れます。

本コレクションの開発にあたっては、素材、糸番手、織りの密度、1ミリ単位での毛足の長さなど、まっさらな視点ですべてを再検証しました。その結果たどり着いたのは、工房で60年以上続いてきた定番中の定番仕様でした。「ふつうの良いもの」へと向かうには、「ふつう」ではない修錬と時間の堆積が必要なのだと学びました。

本展示においては、全 色の「STANDARD COLORS」を一堂に展示いたします。また、ギャラリーと和室にじゅうたんを誂え、触覚から、視覚から、ご体感いただけます。住まいにあわせたオーダーメイドや敷き込みのご相談も承ります。そして、日本では目にする機会の限られた深澤さんの最新プロダクトをあわせて展示いたします。

私たちのこれからにとって、はじまりのコレクションとなりました。ぜひ会場で、ものづくりにお触れいただけますと嬉しく存じます。

山形緞通・プロデューサー
渡邊貴志

小林且典 " piccolaforesta” / 小さな林

2025. 10/18 sat. - 10/26 sun.
11 a.m. - 6 p.m.

分厚いコートを着ていても身震いするほどの寒い日に好んで国道まで気晴らしに出かけた。
北のコモ湖やベルガモ方向に、雪をかぶった山並がみえるからだ。ほとんど雪は降らない平らなミラノとそそり立つ白のコントラストが眩しく美しい。悔しいことにこの時期のミラノはすぐに霧が出て日は落ちてしまうが、斜陽に照らされるその瞬間はどうしてこんなにきれいなのだろうとみるたびに感動した。

1995年早春、6年間のミラノ生活に区切りをつけ、東京郊外に住居兼アトリエを構えた。
旋盤や版画のプレス機のような大きなものから小さなものは針金ひとつまで、ミラノのアトリエにあったものは残さずここへ運んだ。
それなのに新しいアトリエではただぼんやりとするだけで、ミラノから運んだ荷物を解く気にもなれずに時間だけが過ぎていった。
このころの日記には『朝にコーンフレークスを食べた』『ちょっと昼寝をした』『今日もボケーっとした』の3点セットが続いている。
”大陸を越える”と言うことは物理的には単純なことかもしれない。しかしこの頃のぼくの中身は陸路を歩いて横断してる最中のようなものだった。

あるとき思いたち、 鏡に向かって自画像をスケッチすることにした。 今この時、何もできない自分と向き合ってやろうと思ったからだ。
スケッチはやがて何冊もの自画像の束となり、それにともない新しい環境にも馴染んできた。
ようやくミラノからの荷物を解き始めたとき、まだ使っていない版画用の亜鉛板をみつけた。自画像の次はこの亜鉛板でドライポイントの版画を作ることにした。
まだまだ整理しきれていない鬱積した感情を鉄筆で引っ掻いて亜鉛板に重ねていった。
それはやがてぼくの記憶の中のポプラの木となって版上に現れた。
一本のポプラは林になり、その林は一本一本三次元化されて鉄と石膏の彫刻になった。作業台の上に並べられたこれらの木々はお互いの距離によって様々に関係性が生まれ出る。仲良く寄り添うもの、孤独になるもの、家族のようにみえるもの、想像するのが楽しくそれを銅版画にすることに夢中になった。日中は作業台に木々を構成し下書きと版の準備、夜になるとルーペを使って下書きに沿って慎重に鉄筆で削り線を並べていく。版画を多く残したボローニャの画家の心の中に分け入ったようにも思え、この作業に集中できたことでぼくは平和でいられた。この繰り返しの日々をぼくは3年続けた。

やがて情熱は版画から鋳造へと移り、誰にみせることもなくこの頃の銅版や亜鉛版はアトリエの奥深くで27年間眠り続けることになった。
ほとんどが試し刷りしかしておらず、今回の展示にあたってこれらの版を引っ張り出し、数枚ずつ刷ることにした。
それらの版画と同時に展示するのはぼくがアトリエで鋳造したブロンズの山々だ。もちろん頂上に雪がかぶったものもある。それぞれがどのように響き合うかが楽しみである。