小林且典 " piccolaforesta” / 小さな林
2025. 10/18 sat. - 10/26 sun.
11 a.m. - 6 p.m.
分厚いコートを着ていても身震いするほどの寒い日に好んで国道まで気晴らしに出かけた。
北のコモ湖やベルガモ方向に、雪をかぶった山並がみえるからだ。ほとんど雪は降らない平らなミラノとそそり立つ白のコントラストが眩しく美しい。悔しいことにこの時期のミラノはすぐに霧が出て日は落ちてしまうが、斜陽に照らされるその瞬間はどうしてこんなにきれいなのだろうとみるたびに感動した。
1995年早春、6年間のミラノ生活に区切りをつけ、東京郊外に住居兼アトリエを構えた。
旋盤や版画のプレス機のような大きなものから小さなものは針金ひとつまで、ミラノのアトリエにあったものは残さずここへ運んだ。
それなのに新しいアトリエではただぼんやりとするだけで、ミラノから運んだ荷物を解く気にもなれずに時間だけが過ぎていった。
このころの日記には『朝にコーンフレークスを食べた』『ちょっと昼寝をした』『今日もボケーっとした』の3点セットが続いている。
”大陸を越える”と言うことは物理的には単純なことかもしれない。しかしこの頃のぼくの中身は陸路を歩いて横断してる最中のようなものだった。
あるとき思いたち、 鏡に向かって自画像をスケッチすることにした。 今この時、何もできない自分と向き合ってやろうと思ったからだ。
スケッチはやがて何冊もの自画像の束となり、それにともない新しい環境にも馴染んできた。
ようやくミラノからの荷物を解き始めたとき、まだ使っていない版画用の亜鉛板をみつけた。自画像の次はこの亜鉛板でドライポイントの版画を作ることにした。
まだまだ整理しきれていない鬱積した感情を鉄筆で引っ掻いて亜鉛板に重ねていった。
それはやがてぼくの記憶の中のポプラの木となって版上に現れた。
一本のポプラは林になり、その林は一本一本三次元化されて鉄と石膏の彫刻になった。作業台の上に並べられたこれらの木々はお互いの距離によって様々に関係性が生まれ出る。仲良く寄り添うもの、孤独になるもの、家族のようにみえるもの、想像するのが楽しくそれを銅版画にすることに夢中になった。日中は作業台に木々を構成し下書きと版の準備、夜になるとルーペを使って下書きに沿って慎重に鉄筆で削り線を並べていく。版画を多く残したボローニャの画家の心の中に分け入ったようにも思え、この作業に集中できたことでぼくは平和でいられた。この繰り返しの日々をぼくは3年続けた。
やがて情熱は版画から鋳造へと移り、誰にみせることもなくこの頃の銅版や亜鉛版はアトリエの奥深くで27年間眠り続けることになった。
ほとんどが試し刷りしかしておらず、今回の展示にあたってこれらの版を引っ張り出し、数枚ずつ刷ることにした。
それらの版画と同時に展示するのはぼくがアトリエで鋳造したブロンズの山々だ。もちろん頂上に雪がかぶったものもある。それぞれがどのように響き合うかが楽しみである。